独ソ支配の半世紀、そして「歌う革命」へ。ラトビア占領博物館で知る独立の道

独ソ支配の苦難、そして「歌う革命」へ。ラトビア占領博物館で知る独立の道
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バルト三国の中央に位置する森の国ラトビアを2026年6月、旅しました。中世から700年以上も列強に支配されながら、独自の暮らしと文化を紡いできました。この記事では首都リーガにある占領博物館を紹介します。独ソに支配された半世紀の苦難と、銃を持たずに立ち上がった人々の「抵抗の歴史」を今に伝えています。

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「1918」と「1991」

ラトビア占領博物館の入り口ⒸPen&Voyage
ラトビア占領博物館の入り口ⒸPen&Voyage

ラトビアでは「最初の独立」と「二度目の独立」という言葉をよく聞きます。第一次大戦後の1918年、帝政ロシアから最初の独立を果たしました。26年ほど主権国家として存在しましたが第ニ次大戦中の1940年、ソ連に占領されました。ナチスによる侵攻をはさみ、ソ連から独立を回復したのが1991年です。

華やかなブラックヘッド会館の右奥にたたずむ占領博物館ⒸPen&Voyage
華やかなブラックヘッド会館の右奥にたたずむ占領博物館ⒸPen&Voyage

占領博物館はブラックヘッド会館の隣にあります。ロシア革命の指導者レーニンの生誕100周年を記念して1971年、ソ連政府によって建てられた施設を利用しています。

旧市街を案内してくれた公認ガイド・ダイガ(Daiga)さんは1970年代、学校の先生の引率で何度も来たそうです。「ソ連時代の歴史は真実ではありませんでした。家に帰ると父が、本当のことを教えてくれました」。

展示の一部を紹介します。説明はラトビア語・英語が併記されています。

1940年:フェイクの民主主義

「偽りの民主主義がラトビア国家を解体する(Fake Democracy Liquidates the Latvian State)」および「ソビエト連邦によるラトビア併合(The Soviet Union Annexes Latvia)」のパネルⒸPen&Voyage
「偽りの民主主義がラトビア国家を解体する(Fake Democracy Liquidates the Latvian State)」および「ソビエト連邦によるラトビア併合(The Soviet Union Annexes Latvia)」のパネルⒸPen&Voyage

「偽り(フェイク)の民主主義」として1940年7月、ソ連の監視下で「サエイマ(国会)」の選挙が実施され、親ソ派の傀儡(かいらい)政権が誕生した経緯が記されています。下には「自由なラトビア万歳!(LAI DZĪVO BRĪVĀ LATVIJA!)」と書かれた当時のビラが貼られています。

「民衆の抵抗(The People Resist / Tauta pretojas)」のブースⒸPen&Voyage
「民衆の抵抗(The People Resist / Tauta pretojas)」のブースⒸPen&Voyage

形骸化した国会は1940年8月、ソ連への編入を「要請」し、ラトビアが公式にソ連の一部(バルト赤旗勲章共和国)となりました。独立への望みをつなぐため、ソ連の検閲をかいくぐって宣伝ビラや地下新聞(「自由なラトビア」など)が印刷されました。

シベリア強制連行5万7千人

ソ連(USSR)による大量追放・人道に対する罪(Mass Deportations)の統計データⒸPen&Voyage
ソ連(USSR)による大量追放・人道に対する罪(Mass Deportations)の統計データⒸPen&Voyage

ソ連がシベリアなどへ強制連行した人々の数がデータで示されています。1941年6月14日には15,443人(子ども3,741人を含む)、1949年3月25日には42,125人(子ども10,987人を含む)が連れ去られました。

シベリアへの強制連行に使用された家畜トラックの内部を再現した展示ⒸPen&Voyage
シベリアへの強制連行に使用された家畜用貨車の内部を再現した展示ⒸPen&Voyage

シベリアへの強制連行に使われた「家畜列車」の内部を再現していました。ガタガタと揺れる音も流れます。劣悪な環境にあった人々の息苦しさと恐怖が伝わってきます。

第二次大戦の犠牲12万人、人口の1割

「35,000」は、最初のソ連占領期(1940〜1941年)に殺害や投獄、シベリアへ強制連行されたラトビアの犠牲者数ⒸPen&Voyage
「35,000」は、最初のソ連占領期(1940〜1941年)に殺害や投獄、シベリアへ強制連行されたラトビアの犠牲者数ⒸPen&Voyage

第二次世界大戦によるラトビアの犠牲がデータで示されていました。「120,000」は大戦中に命を落としたラトビアの総犠牲者数で、人口の約1割に当たります。「70,000」は軍事行動による死者の数です。

第二次大戦中のラトビアの犠牲者は12万人に及ぶⒸPen&Voyage
第二次大戦中のラトビアの犠牲者は12万人に及ぶⒸPen&Voyage

プロパガンダと文化統制

ソ連占領期ではプロパガンダ(政治宣伝)と文化統制が行われたⒸPen&Voyage
ソ連占領期ではプロパガンダ(政治宣伝)と文化統制が行われたⒸPen&Voyage

ソ連体制での「プロパガンダ(政治宣伝)と文化の統制」のコーナーでは、赤い背景にレーニンの横顔が浮かんでいました。ラトビアの伝統である夏至祭といった集まりは「過去の遺物」として制限され、「集団農場の収穫祭」などへ置き換えられました。手前には、当時のプロパガンダが印刷されたマグカップが展示されています。

ソ連による半世紀近い支配(1945〜1990年)への抗議と抑圧の歴史を伝えるコーナーⒸPen&Voyage
ソ連による半世紀近い支配(1945〜1990年)への抗議と抑圧の歴史を伝えるコーナーⒸPen&Voyage

ソ連への抗議と抑圧の歴史を伝えるコーナーでは、ヒトラーとスターリンがバルト三国を分け合った「独ソ不可侵条約(秘密議定書)」の風刺画がありました。抗議活動に使われたTシャツは、ソ連を象徴する鎌とハンマーに×印がつけられています。

1988–1990:独立への歩み

ラトビアが独立を回復する歩みを伝える年表ⒸPen&Voyage
ラトビアが独立を回復する歩みを伝える年表ⒸPen&Voyage

ラトビアが独立を回復する道をたどった年表がありました。

  • 1988年11月11日: 占領下で初めて、独立の象徴である「英雄の日」を公に追悼。
  • 1989年8月23日: バルト三国の200万人が手をつないだ人間の鎖「バルトの道」。
  • 1990年3月18日: 選挙で独立派が圧勝。
  • 1990年5月4日: 「独立回復宣言」を採択(現在の独立回復記念日)。
1989年8月23日「バルトの道」のデモ活動ⒸPen&Voyage
1989年8月23日「バルトの道」のデモ活動ⒸPen&Voyage

「バルトの道(人間の鎖)」として歌い合って団結した「歌う革命」の映像に見入りました。手をつなぎ、民族の歌を歌うことで、銃や暴力を使わずに独立する原動力になりました。

占領博物館は取り壊しも検討されましたが、博物館として残されたと言います。ガイドのダイガさんは言いました。「ロシアが再び、自由な国を攻撃しています。だからこの博物館はいまも重要なのです」。

ラトビア占領博物館

住所:Latviešu strēlnieku laukums 1, Centra rajons, Rīga, LV-1050 ラトビア
営業時間:10:00-18:00
入場料:大人8ユーロ
公式サイト

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