バルト海に面した小さな国・ラトビアを2025年12月、旅しました。中世からドイツやスウェーデン、ロシアなどの支配を受け、20世紀には独ソに占領されながらも紡がれた文化や暮らしを取材しました。この記事ではソビエト時代に建設され、30年以上も極秘だった地下壕(ソビエト・シークレット・バンカー)の見学ツアーを紹介します。ガイドのユーモアと風刺に導かれ、冷戦時代に本気で想定された「世界の終わり」を体験しました。
ソビエトバンカー(地下壕)とは

米ソの緊張が高まった1962年のキューバ危機がきっかけで、ソビエト統治下にあった各地で核戦争を想定したバンカー(シェルター)がつくられました。ラトビアにも学校や工場、病院などの地下に3千ほどありました。
首都リーガから北東75kmにあるリーガトネ(Līgatne)のバンカーが特異なのは、単なる避難所ではなく国の中枢を担う施設だったからです。政治エリート250人が最大3か月、外部からの支援なしに活動できるよう、電力や水、空気、通信、食糧まで、完全な自給体制が整えられました。地下9m、広さ2000平方mの空間には90の部屋があり、厚み5mのコンクリートで守られています。
完成したのは1982年で、キューバ危機から20年後です。核戦争の可能性はほぼ消えていました。1991年の独立回復後も政府の管理下だったため破壊されずに残り、ラトビアがNATOに加盟した2004年に公開されました。
森の中のリハビリ施設の地下

首都リーガからバンカーまでは車で1時間余りです。森の中の赤い建物で、フィットネスマシンで体を動かす人たちが見えます。冷戦時代は要人専用の保養施設で、現在もリハビリテーション施設として使われています。この地下に施設があることは保養施設の利用者にも秘密でした。


リハビリ施設のロビーを通り抜け、非常口のような扉に向かいました。ここがバンカーへの入口でした。ガイドのオスカーことオスカルス・オコノヴス(Oskars Okonovs)さんがあいさつしました。「今日は旧ソ連時代、ラトビアで最も秘密とされていた民間防衛施設をご案内します。このツアーは3か月続きます。準備はいいですか?」
え、3カ月?戸惑う私たちに言葉を続けました。「バンカーで3か月生き延びるために必要なものは二つあります。まず、十分なウォッカ。そしてもう一つは、よい仲間です。見たところ、最高の仲間がそろっていますね」。
施設での「生存期限」は3カ月でしたが、最も長く人が滞在したのは1984年の民間防衛演習での4日間です。「ただし迷子になった観光客を除けば、です。だから皆さん一緒に行動してください。そうしないと予定より長く滞在することになります」。

地下9mへ続く暗い階段で聞くと迫力があります。オスカーさんは言いました。「あれ?誰かいませんね。もう一人、失いましたね」。おかしいやら怖いやら、すっかり引き込まれました。ガイドツアーでは90室のうち6~7室を1時間余りで見学します。

生きるための設備:通信・空気


通信室には「通信なくして統治なし、統治なくして勝利なし」とのスローガンが掲げられていました。クレムリンへの直通ホットラインや、ラトビア国内の主要機関をつなぐ通信システムがあります。「ご覧のように最新でも最高でもありません。これがソ連式です」。指令を続けるために自分たちで修理する必要があったためです。
施設が極秘のため目立つアンテナは置けません。約15キロ離れたスィグルダ(Sigulda)の通信バンカーが間に入る仕組みでした。「すべては連結しています。孤立した安全など、幻想です」。オスカーさんの皮肉が伝わってきました。

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空調室:バンカーは潜水艦


空調は1960年代のソ連製ディーゼル潜水艦と同じ仕組みで、外気をフィルターで取り込むか内部循環、化学反応で酸素を作る方法がありました。
現在も湿度調整のために換気装置が稼働していています。スイッチを入れるとゴーッという音が響きました。「ツアーが終わるまで空気が足りることを祈りましょう。だから皆さん、息は少なめに」。

支配のための部屋:作戦室・指令室・第1書記室


広い作戦室には大テーブルがあり、椅子がコの字に置かれています。いかにも幹部が居並びそうです。レーニン像は元々はなく、20年前、近くでラトビア史についての映画撮影が行われた後に運び込まれました。
壁一面はラトビア地図で、コルホーズ(集団農場)単位で区分されています。小さな盾は拠点の印です。土地には古くからの名前がありますが、コルホーズ名はソビエト全開です。「レーニンへの道」「若き共産主義者」「金星」「カール・マルクス記念コルホーズ」「共産主義」「勝利」「闘争」「自由」…。「東ラトビアにはすごい名前がありました。『ソ連共産党第22回大会コルホーズ』です。短縮形が必要ですね、人生が終わる前に言い終わるために」。
記念撮影のために私のスマートフォンをオスカーさんに手渡しました。「何枚欲しいですか?20枚?30枚?」と彼はボタンを連打します。思わず笑うと「動かないでください。歴史はブレると困ります」。かと思うと「ああ、もうメモリーが足りません。ソ連では、いつも量が足りなかった」と突然、撮影終了に。一同爆笑でした。
指令室:手書きでアップデートされた地図


指令室は地図だらけです。オスカーさんが長い棒を取り出しました。「ここにすべての作戦情報があります。有事が起きたら市民をどう組織するか」。上の命令を受け、立ったまま各方面に指示を出すための場で、椅子はありません。

における「非常事態レベルと命令を記録・表示する指令ボード」です。いわば-司令室の状態管理パネルです_1-1024x684.jpg)
四方に張り巡らされた地図は用途別に専門家が毎年、定規と色鉛筆で書き直していました。しょっちゅう情報が変わり、極秘なので外の印刷所に出せないうえ、即対応する必要があったためです。最後に更新されたのは1988年です。




第一書記室:個室は最高指導者だけ
ラトビア共産党第一書記(最高指導者)の部屋に入りました。小さいですが、個人の部屋があるのは第一書記だけです。他の幹部は5~6人で雑魚寝です。ベッドルームのわきに執務机、電話、地図、金庫がありました。赤い電話は「クレムリン直通です。友人のウラジーミルが助けてくれます」。ウラジミールとはロシア現大統領のことなのかウラジミール・レーニンのことなのか…。




ソ連式食堂


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最後は食堂です。少しホッとします。白いテーブルクロスやお茶を沸かすためのサモワールに日常が感じられます。食堂の入口の上には、赤い地に白文字で「パンを大切にしなさい。これは何千人もの労働だ」というスローガンが掲げられていました。左のメニュー表も、食卓の赤い造花のカーネーションが当時のままです。「ソ連インテリアの象徴です。40年たっても、まだ咲いています」。赤いカーネーションはソ連では革命や労働の象徴とされ、政治的アイコンでした。

男性がだれかと向き合っているポスターがありました。「どういう意味か分かりますか?」差し出されたグラスを断っているように見えます。「アルコール禁止ということ?」と答えると、オスカーさんは首を振りました。地味なスーツの人物が「正しい市民」を象徴し、グラスを差し出す派手な腕は「敵」の象徴とのことです。「意味は簡単です。敵から何も受け取るな」。

オスカーさんは当時のカットグラスを手にして言いました。「このグラスは、どの家庭にもありました。レシピ本では、すべてがこのグラス基準でした。ケーキでもスープでも、200ミリリットルです」。 週末のツアーでは1980年代の再現メニュー「コルホーズ定食」が味わえるそうです。スープと果物のコンポート、黒パンで、次に来ることができたらぜひ試したいです。
「展示として語れる世界願う」

核戦争を本気で想定した設備と計画、壁に貼られたプロパガンダは生々しく、少しの狂気と滑稽ささえ感じました。オスカーさんにはオスカー像をあげたくなる名演技でした。迫真のセリフで観客を引き込みながら、大切な問いを投げかけます。
最後に聞きました。暗い歴史を語り続ける意義について、どう考えていますか。「歴史を知ることは、未来をどう生きるかを理解する助けになります。過去を忘れれば、同じ場所に戻ります。私たちがこの場所を展示として語れる世界が、これからも続くことを願っています」。
「正直に言うと、このバンカーの話を終わった歴史として語るのは、今ではとても難しくなりました。ウクライナでは今、人々が戦争という現実の中にいます」。「暗い歴史を語る意味は、連帯だと思っています」と話しました。
ガイドは彼以外にもいるので「オスカー劇場」に当たるかは運次第ですが、現代史好きにはたまらない場所です。英語が少しでも分かると「観客いじり」に加われ、映画の中に入り込んだような没入感が楽しめます。
見学ツアーは公式サイトから予約が可能です。
リーガトネ・ソ連秘密地下壕(Padomju Slepenais Bunkurs)
住所:Skaļupes, Līgatne, Cēsu nov, LV-4108 ラトビア
見学ツアー料金:大人15ユーロ、食事付きは大人18.5ユーロ
見学ツアー時間:平日=15:00~(5月-10月のみ)、土日=12:00~、14:00~、16:00~(食事付き。16:00の回は5-10月のみ)
公式サイト
ツェースィス地域で取材したスポット
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ラトビア バルト三国の中央に位置する。人口180万人。面積は約6.5万km²で、九州と四国を足したぐらい。国土の半分が森林。中世からドイツやポーランド、スウェーデン、ロシアなどの支配を受け、20世紀には独ソに占領された。1991年にソ連から独立を回復。公用語はラトビア語。通貨はユーロ。
「バルト海の真珠」と呼ばれる首都リーガは13世紀からハンザ同盟に加盟し、バルト海交易の拠点として栄えた。ドイツ商人らの営みを今に伝える街並みは「リーガ歴史地区」として1997年、ユネスコ世界遺産に登録された。北緯57度はモスクワや米アラスカ州南部と同程度。人口は60万人ほどで、バルト三国では最大。







