バルト海に面した小さな国・ラトビアを2025年12月、旅しました。中世からドイツやスウェーデン、ロシアなどの支配を受け、20世紀には独ソに占領されながらも紡がれた文化や暮らしをかいま見ました。この記事では世界遺産の首都リーガの旧市街を紹介します。石畳の路地裏から、毛皮や琥珀を手にした中世の商人たちが現れそう。「ゆっくり一周しても3時間ほど。歩いて回れます」という公認ガイドのヤーニス・リエクスティンシュ(Jānis Riekstiņš)さんの語りで紹介します。すべて回っても1.5kmほどです。あとはGoogle Mapsがあれば、約700年前にタイムスリップが楽しめますよ。
旧市街の城壁(Old City Wall)


赤いジャケットと赤いニット帽が似合うヤーニスさんは、ゆったりした口調で話しました。「現在見られる街の構成ができたのは19世紀半ばです」。この城壁を回ると、現在はラトビア軍事博物館になっている火薬塔があります。ラトビアとウクライナの国旗がはためいていました。
ラトビア軍事博物館では特に20世紀、ラトビアが二度にわたり独立のために戦った軌跡について展示しています。特別展ではウクライナでの戦争も扱っています。ヤーニスさんは言いました。「ラトビアは2024年3月時点で、GDPの約1.75%をウクライナ支援に使っています。なぜなら、私たちはロシアが何をしてきた国かを理解しているからです」。

ラトビア軍事博物館(Latvian War Museum)
営業時間:10:00-18:00
営業日:水~日(月・火休)
入場無料
スウェーデン門(Swedish Gate)
スウェーデン門は1698年に建てられた城壁に現存する唯一の門です。少し奥まっていて、言われなければ通り過ぎてしまいそうです。
ラトビアは13世紀以降20世紀まで約800年にわたり、ドイツ騎士団、スウェーデン、帝政ロシアの支配を受け、20世紀にはナチス・ドイツとソ連による占領を経験してきました。スウェーデン門はその名の通り、スウェーデン統治時代の名残です。ヤーニスさんは少し冗談めかして続けました。「ラトビア最大手の銀行はスウェーデン資本で、私も口座を持っています。かつては門、いまは銀行、というわけです」。
ラトビア国会(Saeima)

50mほど歩くとラトビア国会議事堂があります。控え目なたたずまいですがラトビアとウクライナの国旗がはためいているので政府関係だな、と分かります。
国会前の広場は1990年前後、ソ連からの独立運動「歌う革命」の重要な舞台でした。ラトビアは1990年5月4日、独立回復を宣言します。国内外で緊張が高まるなかソ連特殊部隊は1991年1月、リーガを襲撃します。
「市民は国会周辺や放送局など、要所を石や木材で囲んで守ろうとしました。氷点下10度にもなる厳しい冬、石畳に立ち、テントを張り、焚き火をしながら、戦車に立ち向かう覚悟で何日も過ごしました。攻撃されれば、命を落とすかもしれない状況でしたが、それでも人々はその場を離れませんでした」。
ソ連は全面攻撃しませんでしたが犠牲者は出て、取材中のジャーナリスト1人を含む9人が亡くなりました。この抵抗運動は「バリケード」と呼ばれ、現場に記念碑があります。

聖ヤコブ教会(St. Jacob’s Catholic Cathedral)

ラトビア国会の向かいで細長い尖塔がそびえる聖ヤコブ教会は、1226年に初めて文献に登場します。塔には小さなフックがあり、「罪人の鐘」と呼ばれる鐘が吊るされています。伝説では、罪人や悪い人が通ると鳴ると言われていますが、実際には中世に犯罪者が処刑されることを知らせる鐘でした。
「鐘はソ連によって持ち去られましたが、独立回復後、3つの男性合唱団がコンサートを開き、その資金で鐘を買い戻しました。現在の鐘は2001年のものなんですよ」。
三人兄弟(Three Brothers)

「三人兄弟」とは、並んで残るリーガ最古級の住宅3棟です。かわいらしい3棟は建てられた時代や構造が異なり、現在はラトビア建築博物館などが入っています。向かって右にある最も古い「長男」は1490年ごろに建てられ、1階の一つの大きな部屋で、日常生活や商いが行われていました。真ん中の「次男」は17世紀、左の「三男」は17世紀後半に建てられました。
「リーガは東西交易の中継地として、商品の保管と受け渡しを担っていました。だから上の階には商品を置いていました」とヤーニスさんは解説しました。ここで「ヘイ!」と彼に手を振るグループが。「昨日、案内したお客さん」だそうで、その後も知人にしょっちゅう会っていました。小さな街ならではですね。
リーガ大聖堂(Riga Dome Cathedral)


リーガ大聖堂は1211年に建設が始まり、数世紀かけて増改築が重ねられたため、ゴシック、ロマネスク、バロックなど複数の様式が混在しています。宗派や教会としての存在さえも歴史の荒波にもまれ、変遷をたどってきました。
「当初はカトリック教会でしたが、16世紀に宗教改革が起こり、ルター派になりました。宗教戦争の時代には、多くの像や装飾が壊され、引きずり出されました。大きな聖母マリア像は、ダウガヴァ川に投げ込まれたという伝説があります」。20世紀のソ連時代には宗教が否定され、教会ではなく「コンサートホール」として存在しました。「椅子を見てください。番号が振ってあるでしょう。これはその時代の名残です」とヤーニスさんは指さしました。客席は指定席で、向きも変えられるようになっています。

ソ連支配により多くの宗教的な装飾は外されました。ただし16世紀につくられた説教壇は、1919年に共産主義指導者が演説した写真があり「共産主義の歴史遺産」との理由をつけ、撤去を免れたといいます。

美しいステンドグラスにはリーガの歴史が描かれています。左側の中央に白い甲冑を着た人物が描かれ、左側には、1201年にリーガを建設したアルベルト司教がみえます。右下には聖母マリアが描かれ、この教会の起源を示しています。



約6,700本からなるパイプオルガンは世界有数の規模を誇ります。20分ほどのミニコンサートも開かれており、清らかな音色が大聖堂に響きます。スクリーンに演奏者が映されるので、指先や足の動きに見入ってしまいました。
毎年11月下旬から1月初旬まで、クリスマスマーケットが開かれるのもこの聖堂前広場です。
リーガ大聖堂
営業時間:10:00-17:00(月~土)14:00-17:00(日)詳しくは
入場料:大人5ユーロ、11-18歳ユーロ、10歳以下無料。
※パイプオルガンコンサートは別途予約(有料)が必要。詳しくは

民族衣装店「セナー・クレーツ」(SENĀ KLĒTS)


街歩きの気分転換に立ち寄ったのが民族衣装と手仕事の専門店「SENĀ KLĒTS(セナー・クレーツ)」です。「SENĀ KLĒTS」とはラトビア語で「古い蔵」という意味だそう。
店内に入ると、マネキンが着た民族衣装が目に飛び込んできます。ラトビア伝統の五角形をしたミトンは天井近くに飾られ、どれがいいか目移りしそう。ちょっとした小物入れはないかな……と品定めしていたら「あなたは、もしかして万博にいませんでしたか」と話しかけられました。驚きました。ラトビア民族衣装・伝統ミトン文化の研究者でありキュレーターのズィエディーテ・ムゼ(Ziedīte Muze)さんでした。

彼女は2025年夏、大阪・関西万博バルト館でのワークショップのために来日したそうです。万博で各国との調整を担当していた私はムゼさんに8月、実際に会っていたのでした。もちろん親日家なので、土産を選ぶのに迷ったら相談してみるといいですね。
ブラックヘッド会館(House of the Blackheads)

リーガ旧市街の象徴・ブラックヘッド会館は市庁舎広場に面しています。最初の建物は1334年、商人たちの倉庫や集会所として建てられ、当時のリーガ最大級の公共建築でした。
15世紀半ば以降は、未婚の商人や船主、外国商人による「ブラックヘッド同盟」の拠点となります。当時の起業家たちの「社交サロン」で、交易都市リーガの活気を支えました。1510年に世界初の装飾付きクリスマスツリーが立てられた場所としても知られています。ヤーニスさんは「諸説ありますが、リーガには証拠があります」と自信ありげでした。
第二次世界大戦中の1941年、ドイツ軍とソ連軍の戦闘で爆撃を受け、廃墟になりました。独立回復後に市民の寄付もあって再建され、1999年に再オープンしました。

聖ペテロ教会(St. Peter’s Church)

聖ペテロ教会は1209年に建てられましたが、火災などにより何度も修復を重ねてきました。リーガで最も高い全高123mの尖塔は、18世紀に建てられた木造のバロック様式の原型をとどめてはいません。当時の塔は1721年に落雷で焼失し、その後再建されたものの、第二次世界大戦中の1941年、戦闘による被弾で崩壊しました。現在の塔はソ連時代の1973年に再建されました。
地上72mにある展望台まで少し階段を昇ったあと、エレベーターに乗りました。ガタガタッ。音を立てて上がります。「ソ連時代のもので、かなり古くて揺れますよ」とヤーニスさんが言った通りでした。
ガタッ。エレベーターが止まりました。降りたとたん、視界がパーッと広がりました。ひんやりと澄んだ空気を肌で感じました。ガラスや防護フェンスなどがなく360度でリーガ市街を一望できます。リーガの平均標高は7mというのがよく分かります。

ただし手を伸ばせば「空」です。風が強い日だったこともあり、気球に乗っているかのような感覚がしました。高所恐怖症の人は覚悟したほうがよいでしょう。
聖ペテロ教会
営業時間:10:00-18:00(月~木・日)、10:00-22:00(金・土)
入場料:大人9ユーロ(塔と教会)学生7ユーロ、8-18歳3ユーロ
公式サイト
猫の家(Cat House)

「猫の家」は1909年に建てられたアール・ヌーヴォー建築です。「裕福なラトビア商人が当時、リーガのビジネスを支配していたドイツ商人の組合(ギルド)に入りたいと考えましたが、ラトビア人であるという理由で受け入れられませんでした。抗議として屋根の黒猫は当初、ギルドの建物にお尻を向けていました。これは意図的な皮肉でした」。
猫の向きが後に変更された理由については伝承の域を出ませんが黒猫は現在、リーガを象徴するモチーフのひとつです。2025年アカデミー賞長編アニメ賞を受賞したラトビア発の映画『Flow』(2024年)の主人公の黒猫との関係は?と訊くと「監督は自分の飼い猫がモデルだと言っていて、直接の関係はありません」とヤーニスさんは話しました。
カルヴェ・コーヒー リーガ旧市街店(KALVE Coffee Riga Old Town)


さてコーヒーブレイクです。スタイリッシュな白の空間がすがすがしいKalveへ入りました。
Kalveとはラトビア語で「鍛冶場」の意味です。リーガに6店舗のカフェを展開するほか、エストニア、リトアニアに加えてフランス・パリにも出店しています。私はアメリカーノ(3.2ユーロ)にしました。酸味もなく、すっと飲めました。
窓の向こうに車が並んでいます。PCを広げて仕事をしているお客さんもいました。雨に濡れた石畳を転ばないよう気を付けて歩いていたのが、一気に現代へと引き戻されました。中世の街並みが日常と同居しているのもリーガらしさだと感じました。


カルヴェ・コーヒー リーガ旧市街店
営業時間: 8.00~19.00(月-金)、9.00~19.00(土・日)
公式サイト
(取材協力:ラトビア投資開発公社<LIAA>観光部、LOTポーランド航空)
ラトビア バルト三国の中央に位置する。人口180万人。面積は約6.5万km²で、九州と四国を足したぐらい。国土の半分が森林。中世からドイツやポーランド、スウェーデン、ロシアなどの支配を受け、20世紀には独ソに占領された。1991年にソ連から独立を回復。公用語はラトビア語。通貨はユーロ。
「バルト海の真珠」と呼ばれる首都リーガは13世紀からハンザ同盟に加盟し、バルト海交易の拠点として栄えた。ドイツ商人らの営みを今に伝える街並みは「リーガ歴史地区」として1997年、ユネスコ世界遺産に登録された。北緯57度はモスクワや米アラスカ州南部と同程度。人口は60万人ほどで、バルト三国では最大。







